「何処でするのか」を大切に

緊急事態宣言により、ほぼ毎日テレワークとなったことで、春先の公私の区別がつかない生活が再来した。通勤の手間がない分朝はのんびりできて最高だし、業務の傍で洗濯機のスイッチを押すこともできる。しかしながら、在席判断がPCのログオン状況であるから、完全にサボるということは(当たり前だが)出来ない。

 

テレワークでは、帰り際に呼び止められることはない。時間の支配から逃れることができる。もちろん残業をすることだってできる。このようなささやかな自由に未来の風を感じながら、「まあ、明日も始業1分前までにログインすればいいや」といって夜更かしをするのである。夜更かしをすれば、当然ながら翌朝の目覚めが悪くなるわけだが、平日は“始業までにログインする”という大仕事がいきなり待っているため、辛うじて布団から這い上がることができる。ところが休日は大仕事などなく、結果、全くの刺激が失われ、易きに流れてしまうわけだ。

 

仮に午前中に目が覚めたとて、寒い中わざわざ布団から立ち上がる理由などひとつもないから、とりあえず二度寝、三度寝に耽る。気がつけば正午を過ぎて正午を過ぎ、1時、2時、3時。ようし、いよいよ起き上がるか。4時。

よくわからないけどシャワーでも浴びて、身支度を整えたら5時。せっかく身支度を整えたので買い物に出かけて6時。帰ってくるのは7時。夕食を終えれば8時。やることがなくなった、ネットサーフィンでもしよう。こうしてまた夜が更けていく。なお、「このままじゃいけない!」とよくわからないことを思って、ネットサーフィンから読書に切り替えるときも2ヶ月に1回くらいにある。

 

 ちょっと待ってくれ。

こんなことをしていたら自分が本当にやりたい事が何も出来ず、怠惰の奴隷と化して死んでいくだけだ。確かに、これよく考えたら毎週末の記憶がすぐに霞んで、よくわからない。

 

仕事でも同じことが言えるのではないだろうか。地方に出張に行って会議をするのと、リモート会議で済ませるのとでは、記憶の残り方が違う。会議の内容だけでなく、その場の空気や環境、移動の過程などが付随的な記憶となって、脳裏に深く刻み込まれるのではないだろうか。

 

ということは、毎週末怠惰の奴隷と化しているこの状況も、場所を移してみれば多少なりとも生きてきた記憶として残っていくのではないか。

最近つまらないな〜と思っていればこそ、「何をするのか」ではなく「何処でするのか」という観点から生活を見つめ直してみるのは如何だろうか。

 

犬も歩けば棒に当たるので、隗より始めてみようと思う。